西部邁氏の死を考えると、自分の存在意義があと何年残って
いるかと思わざるを得ない。
西部氏は、言論なんて虚しい、自分の言論なんて何の意味も
なかったと言っていたが、やばいことにわしの『新堕落論』
はまさにそこから始まる。
堕落のスピードの方が速すぎる。
わしの長年の主張は「自主防衛」であり、「主権回復」で
あり、「侵略戦争の阻止」だから、山尾・倉持の「立憲的
改憲」は、わしの人生の最後の賭けかもしれない。
ここでしくじって、安倍加憲に負けたら、もうアメリカの
属国化は、わしの生きてるうちには防げない。
堕落のスピードが速すぎるから、日本国の真の独立は
もうやってこないかもしれない。
わしもどこまで気力が続くか分からないし、わし以上に
気力がある日本人も見つからないし、わしが病気になっ
たらおしまいだ。
自意識過剰だが、日本には従米ポチしか見当たらない
から、西部氏が死んだなら自分がやるしかない。
そんな警告も籠めて『新堕落論』を描いたが、もはや
奴隷のルサンチマンは日本人の骨身に達しているから、
理解してもらえるかどうかも分からない。
思想・哲学としては『新堕落論』で、実践としては
「立憲的改憲」に賭けてみる。
山尾・倉持はわしに希望を見せてくれたのだから、
全力で責任をとれよ!